受験では、惜しい・出来たはずでは意味がない @城陽市寺田にある個別指導塾 勉楽個別 寺田小・寺田西小・寺田南小・今池小・富野小・深谷小・久世小・久津川小・古川小・城陽中・西城陽中・東城陽・北城陽中・南城陽中・南陽高・城南菱創高・莵道高・久御山高・城陽高
みなさん、こんばんは
京都府城陽市寺田にある個別指導勉楽個別です。
本日もブログを読んでくださりありがとうございます。
気持ちはわかるが意味がない
「受験が」という訳ではありませんし、本来は「普段も」と言うべき内容です。
普段の勉強でも受験勉強でも、本当によく耳にする言葉に「惜しい」「出来たはず」があります。
コーチングの手法の1つの「モチベーティング」でよく用いられる言葉です。
この言葉は、間違って落ち込んでいる生徒への言葉かけとしては間違っていないと思います。
また、学習者を励まし元気づけるためであればまだ良いでしょう。
一方で、自分自身での評価において「惜しい」「出来たはず」は非常に危険なのです。
何故ならば、どちらも「本来は出来る」という評価だからです。
しかし、実際には「出来ていない」のです。
そして、普段から「惜しい」「出来たはず」と間違いを評価している学習者の多くは、受験直前でも同じような状況です。
言い換えると、「自分の間違いと向き合えていない」ということなのです。
自分で考え計画し行動することとは
現在、学校でも学習塾でも多くが「学習者ファースト」のスタンスで、学習者の主体性を尊重した関わりをしています。
ある意味では、勉楽個別も5年前10年前と比較するとそうしています。
しかし、学習者の主体性を尊重することで、学習者が「客観的評価」を得られにくい状況になってもいます。
私は、それについては「学習者の機会損失」であると思っています。
子ども達に学習指導をしていても、「実際には出来ない」のに「もう出来る」と自己評価している場合が本当に多いのです。
これについては「客観的にアドバイスをすること」が必要です。
そして、何よりも学習者自身が「そのことと向き合い受け入れること」が重要になります。
最終的な受験本番では、「その一問二問の差」が合否結果に直結するのですから。
また、これは指導者の押し付けではなく指導者としての「責任」や「愛情」であると私自身は考えています。
高3生は関関同立の試験に立ち向かい、中3生は各志望校合格に向けて努力しています。
そんな子ども達を毎日目の当たりにしているからこそ、「改善に向けたアドバイス」もするようにしています。
しかし、それを受け入れるかどうかは「学習者次第」という時代になって来ているのは少し残念ではあります。

